家系を偽って誇った比丘
世尊はジェータヴァナにおいて、卑しい生まれでありながら、家系の偉大さを絶えず誇っていた一人の比丘について、この話をお説きになった。その虚飾は最終的に、全僧団の前で見破られ、暴かれることとなった。パーリ聖典の第80番の本生は、このような借り物の栄誉が露見したのが決して初めてではなかったことを示す古い物語を伝えている。
体格によって世間から測られた射手
ブラフマダッタ王がヴァーラーナシーを統治していた時代、菩薩は尊敬される家に生まれ、タッカシラーの名高い師匠のもとで修学し、その時代で最も的を外さぬ弓の名手となった。しかし彼は背が低く、体つきも不格好に生まれついていたため、誰もが彼を「小さな弓手」を意味する「チュッラ・ダヌッガハ」と呼んだ。外見だけで人を判断する王が、彼の技量を真剣に受け止めることはないと、彼はよく理解していた。
他人の体格を枠組みとした計画
宮廷に自ら赴いて体格を理由に退けられるよりも、チュッラ・ダヌッガハは市場界隈で荷を運んでいた、背が高く力強い体格の織工ビーマセーナを探し出し、協力関係を提案した。ビーマセーナの体格が王の寵愛をもたらし、チュッラ・ダヌッガハは人目につかぬところで実際の弓の仕事を行う。二人は、王が勇士の働きに対して支払う報酬を分け合うことにしたのである。
借り物の力によって得た勇士の称号
ビーマセーナは喜んで同意し、王の前で、天下のどの射手も自分に並ぶことはできないと誇った。王は彼の大きな体格に感銘を受け、手厚い俸禄を与えて王室の勇士に任命した。王は、いつも彼に付き従う寡黙な小さな従者こそが、ビーマセーナに課されるあらゆる仕事を実際に担っている者だとは、一度も疑わなかった。
虎と水牛、いずれの功も誤った者に帰せられる
一頭の虎が森の道をふさぐと、王は勇士を呼び出して対処させた。ビーマセーナはそれを成し遂げられると豪語し、後方に控えていたチュッラ・ダヌッガハは計略を授けた。弓を持つ村人を大勢集め、虎の住処で虎を起こし、ビーマセーナは藪の中にうつ伏せに横たわる。村人たちが虎を叩き殺すのを待つのである。その後、ビーマセーナは自ら噛み切った蔓を引きずりながら死骸に近づき、牛のように王のもとへ引いていくつもりだった獣を誰が殺したのかと、怒ったふりをして問いただすことになっていた。彼はその通りに実行した。怯えた村人たちは、自分たちのことを報告しないよう彼に多額の賄賂を贈り、王は彼を獣を仕留めた功の者として褒賞を与えた。別の道を荒らしていた水牛も、同じ手口で同じ末路をたどった。露見しなかった欺瞞のたびに彼の名声と傲慢は増していき、ついには菩薩の助言を軽んじ、菩薩に対して荒々しい言葉を投げつけるまでになった。
ついに真の勇気が求められた戦い
敵対する王がヴァーラーナシーを包囲し、降伏か戦いかを要求したとき、王はビーマセーナを武装させ、甲冑をまとった戦象に騎乗させて送り出した。今回は身を隠す藪もなく、代わりに働いてくれる村人もいなかった。彼を案じたチュッラ・ダヌッガハもまた武装し、彼の背後に静かに座った。戦の太鼓の最初の響きで、ビーマセーナは震え上がり、チュッラ・ダヌッガハは彼が落ちないように紐で体を縛りつけた。戦の光景を目にすると、彼は恐怖に打ちのめされ、象の背の上で失禁してしまった。まさに真の勇気が求められた瞬間に、彼は何の役にも立たなかったのである。
静かに得られた勝利と、送り返された誇り者
チュッラ・ダヌッガハは、以前の豪語と現在の有様との隔たりを、詩句によって嘲った。そして彼を安心させ、家に帰って体を洗うように送り返した。その後、彼は戦いに突入し、敵陣を突破して敵王を生きたまま引きずり出し、ヴァーラーナシーへ連れ帰った。王は、この勝利をもたらした小さな弓手を称え、その名声はジャンブ洲のすみずみまで広がった。ビーマセーナは褒美を携えて家に帰されたが、彼の誇りと恐怖はあとに残されたままであった。
真の試練に耐えられなかった借り物の名声
最終的にビーマセーナの正体を明らかにしたのは、ただ一つの嘘ではなく、一つずつ積み重ねられた多くの小さな嘘の集積であった。まったく得ていない名声は、いつか体格や誇張では代えられない真の技量が必要とされる場面で、守り抜かねばならなくなる。この物語を語るきっかけとなった比丘も、同じことを小さな規模で行っていた。誰も疑問を抱かなかった家系の歴史を膨らませていたのであり、誰かがついに問いただすまで、その虚飾は問われなかったのである。借り物の偉大さは、まさにそれを支える必要が最も大きい瞬間に崩れ去るのだと、彼は知ることになった。
小さな男が決して恨まなかった協力関係
物語はこの点を深く掘り下げないものの、全編を通じて静かに見えてくることがある。チュッラ・ダヌッガハは、他の男がすべての公の褒賞を受け取る間も、実際の仕事をすべて担いながら、一度たりとも苦々しく思う様子を見せなかった。ビーマセーナとの取り決めは、決して解決すべき恨みとして語られることはない。それは、彼の技量を見るために自分の体格を越えて見ようとしない世界に対する、実際的な解決策だったのである。象の背の上での彼の嘲りの詩句ですら、復讐というよりは、戦いだけではもはや隠しておけなくなった真実が、単純に、避けがたく表に出てきたことを示すように読める。
ご存知でしたか?
パーリ仏典第80話。真の勇気と力量は肉体の偉容ではなく内なる英知に宿ることを教える傑作。
菩薩は背の曲がった小人の弓師「チュッラ・ダヌッガハ」として現れ、肉体の制約を智慧で克服。
平時には威張り散らし、本物の危険を前にすると脱糞して木に登る口先だけの偽勇者を痛烈に風刺。
ユーモラスな物語の中に、外見にとらわれず内面の実力を見抜く般若波羅蜜の教えを内包。
祇園精舎にて、高貴な家柄を自慢しながら試練の前で逃げ腰になった尊大な比丘を戒めるために説かれました。
