ヒマラヤで苦行者となった四人の兄弟
パーリ聖典の本生譚第186話は、ダディヴァーハナ王自身からではなく、ベナレスを都とするカーシー国の四人の兄弟から始まる。彼らは共に世を捨て、ヒマラヤで苦行の生活に入った。四人のうち最年長の兄が死ぬと、神々の主である帝釈天として生まれ変わり、やがて残る三人の苦行者を訪ねて戻ってきた。帝釈天は三人それぞれに宝を授けた。一人は斧としても用いられる剃刀を受け取った。別の一人は、二つの面が象を追い払うことも、馴らすこともできる太鼓を受け取った。三人目は、持ち主の意のままに凝乳の流れが湧き出る鉢を受け取った。
自分のものでないものを欲した漂流者
カーシー国の一人の男が、難破して絶望のうちに、ある島に打ち上げられた。その島では一匹の野生の猪が、持ち主を空中に運ぶことのできる如意宝珠を所有していた。猪が眠っている間に、男は宝珠を奪って空へ舞い上がった。宝を奪われた猪は命を落とした。宝珠を携えてヒマラヤへ向かった男は、三人の苦行者を見つけ、彼らの宝がどれほどの価値を持つかをすぐに見抜いた。彼は宝珠と引き換えに剃刀の斧を求め、最初の苦行者は彼を信じ、この交換に同意した。彼は同じようにして、二人目の苦行者から太鼓を、三人目から凝乳の鉢を手に入れた。
証人を残さなかった裏切り
交換のたびに、無事に遠ざかると、男は手に入れたばかりの剃刀の斧に命じて、自分を信じた苦行者を打ち倒させ、宝珠を自分の手に戻させた。斧はこれを三度行った。男がヒマラヤを去る頃には、三人のうち誰ひとりとして生き残って交換の経緯を語れる者はいなかった。こうして男は宝珠と、一人の人間が決して持つべきでなかった三つの霊宝を手にしていた。
漂流者からベナレスの王へ
宝を携えてベナレスへ向かう途中、男は城外で足を止め、王に使いを送った。すなわち、王国を明け渡すか、戦うかのどちらかを選べ、と。王が軍を率いて出陣すると、男は太鼓を打ち鳴らし、四軍の兵が彼の周囲に立ち並んだ。次に彼が凝乳の鉢を傾けると、凝乳の大河が王の軍勢を押し流した。彼の命に従って剃刀の斧が王の首を持ち来たり、誰も彼に立ち向かうことはできなかった。都に入った男は王位に就き、ダディヴァーハナ、すなわち「凝乳を運ぶ者」の名を名乗った。それは、自分を難破から王位へと運んだ鉢を讃えてのことであった。彼はベナレスを、信じた三人の苦行者の命を代価として得た宝によって築かれた栄華のもとに統治した。
カンナムンダ湖から流れ着いた一つのマンゴーの種
ある日、遠くのカンナムンダ湖から一つのマンゴーの種が川を流れ下り、王家の沐浴場の近くの岸に打ち上げられた。ダディヴァーハナ王は庭師に命じて、それを王宮の庭に植えさせた。そこから育った木は、それ以前のどのマンゴーの木にも勝り、その実は極めて芳しく甘美で、王は他のどの財宝よりもそれを大切にした。
傷つけられてから贈られた贈り物
自らの木を、いかなる競争相手よりも誇りに思った王は、その実の籠を隣国の王たちへ外交上の贈り物として送った。しかし王は先に、すべての種に針で穴を開けさせた。そうすれば、他のどの国も王の木に並ぶ木を育てることができないようにするためであった。隣国の一人の王は、届く前に故意に損なわれた贈り物を受け取って深く侮辱され、その侮辱を招いた木を滅ぼすことで報いようと決意した。
守るべき者として信頼された庭師が、破壊のために送られた
侮辱を受けた王は、熟練の庭師を密かな指示とともにベナレスへ送った。その指示とは、王家のマンゴーの木の世話をする地位を得たうえで、内側からその甘美さを破壊せよというものであった。庭師は自らの技量を示し、木の守り手として迎え入れられると、すぐに幹のまわりの健やかな低木を取り除くことに取りかかった。その跡に彼は苦いニンバ(ニーム。薬用として重んじられるが、その樹液の激しい苦味で知られる)の木と、毒性のあるつる草を植え、その根が土の下でマンゴー自身の根と絡み合うように仕向けた。
木に手を触れられずに失われた甘美さ
二つの季節のうちに、ニンバの苦味と蔓草の毒がマンゴー自身の根へと染み込み、幹を通って上へと昇っていった。次の収穫期に実が熟すと、その実は以前とまったく同じように金色に輝き、完璧に見えた。しかしダディヴァーハナ王がそれにかじりつくと、かつて甘美さがあった場所には胆汁と毒しか残っていなかった。刃にも斧にも触れられなかった木が、どうして自らに逆らうようになったのか、宮廷の誰ひとりとして説明することができなかった。
甘美さの源を根に辿った大臣
その生においてダディヴァーハナ王自身の大臣として仕えていた菩薩こそが、宮廷の庭師たちが完全に見落としていたことを見いだした。マンゴーの衰える甘美さを、土の下で絡まり合った根まで辿って、彼は木の本性がまったく変わっていないことを王に説明した。根は根に結ばれ、枝は枝と混じり合っていたため、その毒を持つ隣人たちの苦味が、かつては彼らから離れて立っていた唯一の木へと単に移っていったのである。それはちょうど、人の本来の性質が、日々その身を囲む交わりによって少しずつ運び去られていくのと同じであった。
植えられたものを取り除くことで回復した木
菩薩の助言により、王はニンバの木を引き抜き、毒を持つ蔓草を引き裂くよう命じた。汚染された土は掘り出されて取り替えられ、マンゴーの根には乳と甘い水が与えられた。腐敗がその根から引き出されるまで、それは続けられた。一年のうちに、木の実はかつての天界の甘美さを取り戻した。菩薩は、回復した木を用いて、マンゴーそのものよりも長く残る教えを宮廷に示された。最も高貴な性質であっても、腐敗した者や苦い者と長く絡み合ったままであれば、やがては自らの実ではなく、彼らの実を結ぶようになるのだと。
ご存知でしたか?
環境汚染と浸透圧の比喩を用いて、悪友の感化が善性を蝕む過程を描いた植物学的寓話。
ニーム(苦楝樹)は、周囲の美徳を腐敗させる生来の邪悪さと悪習の象徴。
同じ大地と水から養分を得ながら、接触と根の交錯によって甘味が苦味へと転じる冷厳な真理。
損なわれた純粋さを取り戻すには、毒の根を完全に引き抜き、善行という甘露で潤す必要がある。
古代の王道論や統治倫理の文献において、側近選びの戒めとして頻繁に引用される名高いジャータカ。
