出自を自慢した比丘の枠物語
パーリ聖典の本生譚第125話は、高貴な家柄を誇ることを常としていた比丘について、世尊が語られたものである。この比丘は同じ修行僧たちの前で、自らの重要性を膨らませて見せていた。虚偽の身分の主張が、ただ機知だけでどれほど容易に支えられるかを示すため、世尊は昔の物語を思い起こされた。それは、一通の偽造の手紙の上に婚姻全体を築いた奴隷の息子の話であり、同じ機知が彼自身をどれほど不安定な立場に置いたかを語るものである。
主人の息子とともに育てられた奴隷
前世において菩薩はバーラーナシーの裕福な財務官であった。その家にはカタハカという、奴隷女の息子が育った。彼は財務官自身の息子とともに育てられ、読み書きと紳士の作法という同じ教育を受けた。
主人の筆跡で書かれた手紙
成人したカタハカは、主人が与えた技能そのものを用いて、財務官自身の筆跡の手紙を偽造した。それは国境地帯で財務官と取引をしていた商人に宛てられ、カタハカを財務官の実の息子と偽って示し、商人の娘を彼に嫁がせるよう求める内容であった。国境の商人は、取引相手自身の印章と筆跡に見えたものを目にして、カタハカを温かく迎え入れ、娘と、自分自身の家と使用人たちを彼に与えた。
安楽の中で耐え難いほど高慢になった夫
新しい生活に安心し、国境の地で誰も自分を暴くことはできないと確信したカタハカは、傲慢になった。彼は妻の料理について公然と不満を述べ、バーラーナシーにある自分の父の屋敷で供されたと彼が主張する食事と比べて、見下すように言った。若い妻は、自分の努力に対する彼の蔑みに涙を流した。
偽造の源まで辿った主人
財務官は、家の奴隷が自分の名前が記された偽造の手紙とともに姿を消したことを知ると、自ら国境の町へ赴いた。その接近の知らせは、財務官の馬車が門に着くよりもずっと前に、カタハカの耳に届いた。
二通りに読める一礼
嘘の上に築いた家の前で露見することを恐れたカタハカは、財務官に会いに出て行った。彼は、尊敬すべき父を迎える従順な息子のように、財務官の前にひれ伏した。妻の家族はこの謙遜の振る舞いを、ただ子としての敬愛と読み、それが実のところ、真の主人に慈悲を乞う奴隷であったとは一度も疑わなかった。
財務官が人前で取り立てないことにした負債
カタハカの本物の恐怖と、彼が失おうとしている家庭に心を動かされた財務官は、この欺瞞を暴かないことに静かに同意した。彼が求めたのは、カタハカが既に妻に多くの苦しみを与えてきた傲慢を正す、という私的な約束のみであった。
二人だけが理解した警告を含む偈
立ち去る前に、財務官は若い妻に一つの偈を教えた。次に夫が食事について不平を言ったときに唱えるようにとのことであった。誰が聞いても、それは穏やかな諺のように聞こえるにすぎなかったが、カタハカただ一人にとっては、疑いようのない思い出させる言葉であった。すなわち、古い主人は今も彼が何者であるかを正確に知っており、間違った耳に一言届けば、彼の新しい生活を覆せるのだ、という警告である。
二度と戻らなかった不満
次にカタハカが食事を前にして鼻を鳴らしたとき、妻は教えられた通りに偈を正確に唱えた。その瞬間、カタハカの顔からは血の気が引いた。自分の上に何が掲げられているのかを、彼ははっきりと悟ったのである。その日から、彼は演じられた謙遜ではなく、真の敬意をもって妻に接した。自分の快適な新しい生活が、ひとえに一つの秘密に依っていること、そしてその秘密を自らの振る舞いから二度と漏らすわけにはいかないことを、彼は学んだのである。
高慢な比丘に対する仏陀の教え
仏陀は、この話を語らせるきっかけとなった比丘の自慢へと、会衆の注意を再び向けることで物語を締めくくられた。カタハカの例を通して、真実を知る者がそれを語ると決めた瞬間に、誇張された身分の主張がいかに容易に崩れるかを、比丘に示されたのである。真の謙遜は、誰にも見つからないことに完全に依存する傲慢よりも、はるかに安全であると仏陀は説かれた。
ご存知でしたか?
般若波羅蜜と慈悲(メッター)波羅蜜(柔軟な機知、寛容、傲慢の矯正)を鮮やかに描く第125話の本生譚。
身分詐称と嘘の上に築かれた富と家庭がいかに脆く、当事者を恐怖で縛るかを巧みに分析。
逃亡奴隷を罰したり再奴隷化せず、名誉を守りつつ改心させるボサツの規格外の大慈悲心。
謎かけの詩を用いて家庭内の威張り散らしを平和的に解消した絶妙な心理療法的アプローチ。
真の高貴さは謙虚な感謝にあり、不相応な幸運に酔って他者を蔑むことの浅ましさを戒める。
