デーヴァダッタの悪行をめぐる枠物語
パーリ聖典の第二〇六本生は、仏陀がデーヴァダッタの変わらぬ敵意について説かれたものである。それは、三匹の森の友と一人の猟師にまつわる古い物語を思い起こさせるものであった。猟師の残酷さは、そのそれぞれから全てを奪いかけたが、もし最も明らかな危険が過ぎ去った後も止まらなかった救出がなければ、そうなっていたであろう。
断ち切れない絆で結ばれた三匹の友
その前世において菩薩は、森でふたりの忠実な仲間とともに暮らすカモシカとして生まれた。ひとりは上の枝に巣を作るキツツキ、もうひとりは近くの池に住む亀であった。三匹は毎日集まり、森の果実と心安らぐ交わりを分かち合った。その友情は、誰もが他の二匹から返されないものを求めることのない絆であった。
闇に仕掛けられた罠
森の中でカモシカの足跡を追う猟師は、カモシカが毎朝訪れる果樹の近くに、なめした革で作った隠れた輪縄を仕掛けた。カモシカが知らずにその罠に足を踏み入れると、革は脚に食い込んで固く締まり、どれほどもがいても彼を捕らえて離さなかった。
二匹の友を一度に呼んだ叫び
カモシカの苦悶の叫びを聞いて、亀は池から這い出し、キツツキは枝から舞い降りた。二匹はすぐさま、それぞれがどのように助けられるかを話し合った。亀は自らの顎で硬い革紐を噛み切り、キツツキは先に飛んで猟師が空き地に着く前に足止めをすることとなった。
騒ぎだけで時間を稼いだ鳥
猟師の小屋に先に着いたキツツキは、男が戸口から出てくるのを待ち、その顔めがけて真っ直ぐに飛びかかった。鋭く鳴き、羽ばたいて、驚いた猟師が不吉な兆しに出会ったと思い込み、家の中へ退くまで続けた。猟師が代わりに裏口から出ようとすると、キツツキは再び襲いかかり、ただ騒ぎと執拗さだけで、彼を何時間も足止めした。
自らの力が尽きるまで働いた亀
キツツキが猟師を悩ませている間、亀は革紐を休まず噛み続けた。ついに最後の一筋が切れ、カモシカは藪の中へ飛び出した。ところがそのとき亀は長い労苦で疲れ果て、動きも鈍っていた。まさにその時、猟師はキツツキの妨害から逃れて、ついに自ら空き地に到達したのである。
まだ終わっていなかった救出
カモシカ自身の解放によって危険は終わるはずであった。しかし疲れ果てた亀は、池の安全な場所に間に合って辿り着くことができず、逃げ切る前に猟師に捕らえられてしまった。完了したように見えた救出は、わずか半分にとどまったのである。
引き返すことを選んだ友
カモシカは、自分の安全を物語の終わりとして受け入れることなく、まさに今逃れたばかりの危険へと引き返した。彼は意図的に猟師の注意を引き、森の奥深くへと誘い込んだ。それは、彼一匹だけが生き延びられるほど速い追跡であった。猟師がカモシカの足跡を追って空き地から遠ざかる間に、亀は静かに解放され、無傷で池に戻った。
最初の脱出で物語が終わらなかった理由
もしカモシカが自分の脚が自由になった後、そのまま藪の中へ姿を消していたなら、この物語は二匹の友が三匹目を救った話として語り継がれたであろう。しかしそれは、三匹の友がそれぞれ順番に、救出を全員の安全まで完遂させることを拒んだ物語となった。カモシカが引き返すという選択は、キツツキに安らぎを、亀に力を失わせた同じ友情以外の何ものにも求められなかった。そして、最も容易な瞬間によってのみ測られる友情は、まだ十分に試されたものとは言えないのである。
仏陀による身元の明かし
物語の終わりに、仏陀は猟師をデーヴァダッタ、キツツキをサーリプッタ、亀をモッガッラーナ、そしてカモシカを自分自身と同定された。かつて三匹の森の生き物を、始めから終わりまで一つの救出によって結びつけた友情は、まさに仏陀の高弟たちが互いに、また師に対して、季節が巡り、最初の最も明らかな危険が過ぎ去った後も、なお抱き続けた同じ忠誠であった。
ご存知でしたか?
第206話は、第一巻の第21話とは別個の、第二の『クルンガミガ(小鹿)本生譚』である。
鹿・亀・キツツキの固い契りは、インド説話文学における異種族間の至高の友愛の象徴である。
デーヴァダッタの輪廻を越えた執拗な怨恨が、冷酷な猟師の姿を通して鮮烈に描写されている。
本作は「善友(カリヤーナ・ミッタ)を持つことは清浄行(仏道)の全貌である」という教えの完璧な具体例である。
鳥が顔に飛び込んでくるのを凶兆(ニミッタ)と信じる古代インドの俗信が、見事な陽動作戦として活用されている。
