誤った敵と戦った村人たちの枠物語
パーリ聖典のジャータカ第44話、すなわち道徳の教えを伝えるために語られる、仏陀の過去世の伝統的な前世譚は、マガダ国のある村落について仏陀がお説きになったものである。その村人たちは、森で働くあいだ蚊の大群に悩まされ、弓と矢を手に取って虫を射ようとした。的はあまりに小さく素早すぎて、村人たちは次々と矢を放ったが、ただお互いを傷つけるばかりで、救いを求めた計画によって自らを傷つけることになった。知恵なく与えられた助けが愚かであることを示すため、仏陀はカーシ国に伝わる古い物語を思い起こされた。
束の間の平穏だけを望んだ大工
カーシ国の国境の村に、頭が禿げ白髪の老いた大工が住んでいた。ある午後、彼は自分の仕事場で木材の一本を鉋で削っていた。日は暖かく、作業する彼の剥き出しの頭皮に汗がにじんだ。すると、一匹の大きな蚊がそこに止まり、鋭く刺した。
父への忠誠を示したがる息子
大工の息子は、従順だが単純な少年で、父を深く愛し、父の役に立つこと以外は何も望んでいなかった。たまたま近くに立っていた彼は、父が刺されて苛立った声をあげるのを聞くと、この小さな奉仕を通して自分がどれほど父を思っているかを示そうと、その悩ませる者を自分の手で追い払うことを即座に決意した。
重さへの考えなしに選ばれた武器
少年は、手で虫を払うことをせず、近くに置かれていた重い薪割りの斧に手を伸ばした。未熟な頭で、これほど頑固な害虫には決定的な答えが必要だと考えたのである。彼は父の後ろに立ち、老人の両耳のあいだに止まっている蚊に目を据え、腕の力のすべてをもって刃を振り下ろした。
刺されに対する、はるかに大きな害で応じた一撃
重い斧は狙いどおりに落ち、その同じ瞬間に大工の命を奪った。それは、あの小さく刺す虫には決して自ら引き起こせなかった運命であった。自分に向けられた一撃に触れられることもなかった蚊は、無傷のまま飛び去り、少年の善意では決して消すことのできない悲しみを残した。
事の後を見るために間に合った商人
その村の同じ商人であった菩薩(この以前の生における、まだ仏陀となる前の存在)は、自分の使う材木を見に、その日この大工の仕事場へやって来ていた。彼が仕事場に着いたちょうどそのとき、家族の嘆きの声があがり始め、そこに集まった家族が、判断を欠いた献身によってどれほどの代償を払ったかを、彼は即座に知った。
起きなくてもよかった悲しみから引き出された教訓
起きたことを見渡しながら、菩薩は、大工自身が忘れられたずっと後にも、この物語を後世に伝えることになる言葉を語った。知恵を備えた敵は、知恵を欠いて行動する友よりもはるかに安全である、と。思慮深い敵は、なお理性によって止められうるが、愛情深い愚か者は、ただ助けたいと願うがゆえに、悪意そのものが意図しなかったかもしれない破滅を引き起こしうるのだ、と。
仏陀が老大工の家を再び引き合いに出された理由
仏陀は、この物語を締めくくるにあたり、聴衆を自分たちの矢と自分たちの傷へと立ち返らせた。蚊の一刺しに弓で応えようとしたマガダの村人たちは、それぞれのやり方で、同じ小さな苦しみに斧で応えた一人の少年と、まったく同じ道を歩んでいたのである。どちらの場合も、害を生んだのは悪意ではなく、目の前の危険に実際に見合う応答が何であるかを知る知恵を伴わない熱意であった。
教えの持続する形
マガダの特定の蚊も、カーシの特定の蚊も、ともに忘れ去られてずいぶん経った後も、菩薩がその大工の仕事場で最初に描いた比較は、まったく同じように役立ち続けている。手近にあるどんな道具に手を伸ばす前にも、準備している応答が、そもそも終わらせようとする厄介ごとに本当に見合ったものかを問う価値がある。どれほど誠実であっても、善意だけでは、それ自体の性急さによって招かれた害に対して、これまで一度も守りとなったことはない。武器を握る手が不注意な少年のものであろうと、怯えた隣人たちの村全体のものであろうと、それは変わらないのである。
ご存知でしたか?
パーリ仏典第44話。第45話ローヒニー本生と対をなす「愚かな味方の害毒」を説く双子説話。
長者菩薩が「賢き敵は愚かな友に勝る」という仏教倫理の不朽の格言を宣言します。
善意があっても分別なき行動は大惨事を引き起こすことを示す般若波羅蜜(智慧)の教え。
摩揭陀の村人たちが蚊を射ようとして互いを傷つけた出来事に触れて、ブッダがこの物語を説かれました。
後世の寓話にある「主人の顔に止まったハエを石で叩き殺す忠実な熊」の原型とされます。
