ジェータヴァナにおける頑固な比丘
仏陀は、パーリ三蔵の第60番の本生譚を、ジェータヴァナ精舎に住んでおられたとき、自分の考えに固執して長老の助言を聞き入れなかった一人の比丘のために説かれた。師は、このような頑なさが初めて現れたわけではないと述べ、父親が賢明な助言に耳を貸さなかったために、二人がたちまち災いを被った前世の出来事を思い起こされた。
ヴァーラーナシーの螺貝吹きの一家
ブラフマダッタ王がヴァーラーナシーを治めていた時代、菩薩は螺貝吹きの家に生まれた。その家の生業は、祭礼、行列、そして王家の儀式で大きな法螺貝を吹き鳴らすことであった。父もまた同じ技に通じており、二人は技が求められる所へ赴き、聖なる貝の響きによって生計を立てていた。
実入りのよい祭礼の仕事
公の祭礼が催されるとの知らせが届き、父と息子はそこへ出かけた。このような集まりでは、進行を告げ人々の心を高めるために、螺貝吹きはいつも求められていたからである。彼らの演奏は集まった人々を大いに喜ばせ、祭礼が終わるころには、二人は労働の対価として相当な額の金銭を得ていた。
危険な森を抜けての帰路
稼ぎを手にした父と息子は、盗賊が潜むことで知られる森を通る道を家へ向けて戻った。そのような森は、目に見える財を携える旅人にとって常に危険であり、二人も稼ぎを無事に持ち帰るためには慎重に進まなければならないことを知っていた。
息子の節制への勧め
陰の差す小道に入ったとき、二人のうち年下であった菩薩は、父よりも危険をよく理解していた。彼は節度を保つよう勧めた。螺貝を吹いて森に自分たちの到来を知らせる必要はない。もし吹くにしても、控えめに慎重に吹くべきである。絶え間なく大きな音を立てれば、近くに潜む盗賊の注意を引くだけだからである。
父の頑なな拒絶
しかし父は息子の賢明な忠告には従わなかった。自らの技を誇り、祭礼の広場を音楽で満たしたように森をも音楽で満たしたいと思い、警告を退けて、歩きながらいつものように螺貝を大きく繰り返し吹き続けた。今どこにいるかにはまったく頓着しなかった。
盗賊の気づき
その森は実際に盗賊の一団の住処であり、螺貝の絶え間なく屈託のない音は木々の間を明瞭に響いていった。盗賊たちは、これほど無頓着に何度も吹き鳴らされる貝の音を聞き、財を守る用心深い旅人がこのような音を立てることはないとすぐに悟り、容易な機会であると見て取った。
待ち伏せと損失
盗賊は父と息子に襲いかかり、祭礼で苦労して稼いだ金銭を奪い去り、旅の成果として何も残らないようにした。苦労して得た祭礼の報酬は、そのすべてが一瞬にして失われた。一人が、二人の安全のために自らの慢心と不注意を抑えようとしなかったからである。
菩薩の教えの偈
起きた出来事を振り返り、菩薩は父に一つの偈を語られた。それは今日まで伝えられている教えである。すなわち、いかなる営みにおいても行き過ぎてはならず、過度を避けることを学ぶべきである。度を越して吹いたために、吹くことによって得たものがいまや失われたのだから、と。この偈は、この一連の出来事を、どこで十分とすべきかを知るという一つの教訓にまとめた。
仏陀による同定
この物語を語った後、仏陀は、その中の人物を、ご自身の時代に居合わせた人々と同一視された。今日の自分勝手な比丘、すなわち長老の比丘たちの助言を聞こうとしなかった者こそ、森で息子の警告を聞こうとしなかったまさにその父である。そして仏陀ご自身は、聞き入れられなかった節制の賢明な助言を与えた息子、すなわち菩薩であったと宣言された。
祭礼の銭よりも長く続いた教え
この第60番の本生は、音楽や盗賊の話としてではなく、矯正を拒む慢心の危害についての鋭い教えとして伝わっている。父の技は本物であり、稼ぎも正直に得たものであったが、息子の思慮深い助言によって熱意を和らげることを拒んだとき、そのどちらも彼を守ることはできなかった。仏陀は、この古い出来事を用いて、頑迷な比丘に、そしてその後これを聞くすべての人に示された。年少の者や身分の低い者の助言も耳を傾けるに値すること、そして本来無害な営みであっても、過度になれば、慎重な努力が築いたものを壊しかねないことを。節度、時にかなった自制、そして出どころを問わず、良き助言に導かれようとする心こそ、この物語が聞く者に守るよう求める真の富である。
ご存知でしたか?
パーリ三蔵・一集に収められた第60番の本生です。
よくある誤解を正します。菩薩は父ではなく、節制を勧めた息子です。
強盗を招いたのは息子の慢心ではなく、父が息子の警告を聞き入れなかったことです。
仏陀は、当時の我がままな比丘を、この話に登場する頑固な父と重ね合わせて示されました。
結びの偈は、過ぎたることが慎重な努力で得たものをも損なうと戒めています。
