園丁の唯一の財産
波羅奈国の王ブラフマダッタが統治していた頃、菩薩は大地から根や山芋、薬草を掘って暮らす園丁として生まれた。その全財産は、柄が擦り減った一本の古い鉄の鋤であった。この唯一の道具のゆえに、人々は彼を「鋤の仙人」を意味するクッダーラと呼んだ。収穫した野菜がすぐに萎れていくのを見て、どれほど働いても老いて滅びていく身体に仕えるだけの人生に疲れ果て、菩薩は家の暮らしを捨て、森の自由を求めることを決意した。
森へと引く想い
旅立つ前、クッダーラは愛用の鋤を町の近くの茂みに隠した。まるで心のどこかが、いずれ再びそれを必要とすると察していたかのようであった。彼はヒマラヤの荒野へ分け入り、しばらくの間、野生の果実を食べて独り修行する行者として暮らした。しかし小屋の静けさの中で、鋤のことを思う心が再び忍び寄った。鋤さえあれば大地から常に糧を掘り出せるのに、なぜ森で食べ物が無いことに苦しまねばならないのか。この思いは彼に安らぎを与えなかった。
六度の帰還
この小さく、しかし執拗な渇愛に打ち負かされ、クッダーラは森から歩いて戻り、隠しておいた鋤を取り出して、昔の仕事に戻った。ひとたび落ち着くと、世俗の暮らしへの嫌悪が再び胸に湧き上がり、彼はまた森へ戻った。しかし同じ道具への記憶によって、再び家へと引き戻された。これが六度続けて起こった。六度、彼は世を捨て、六度、古い一本の鋤への思いが彼を平凡な暮らしの塵の中へ引き戻したのである。
第七の誓い
自らの弱さを恥じたクッダーラは、ついに鋤そのものが敵なのではなく、執着する心こそが敵なのだと悟った。この七度目の出家を最後とし、ただ再び隠すのではなく、誘惑の根源を永遠に断ち切ろうと決意した。鋤をガンジス川の高い岸辺へ持っていき、もし鋤が水に落ちる場所を見てしまえば、古い執着が彼を水へ入って探させてしまうかもしれないと考えた。
鋤をガンジス川へ投げる
そこでクッダーラは目を閉じ、鋤を頭上で三度振り回し、力の限り川の真ん中へ投げ放った。鋤が沈んだ場所を見ようと、一度も目を開けなかった。遠くから水の音が聞こえて、初めてそれが二度と取り戻せないものになったと分かった。その瞬間、六度も彼を打ち負かした渇愛の鎖がついに断ち切られ、彼の心には大きな軽やかさが満ちた。
川越しに響いた叫び
クッダーラは三度両腕を上げて、「我は勝てり! 我は勝てり!」(ジタン・メー、ジタン・メー)と大声で叫んだ。ちょうどその時、波羅奈国の王は国境の反乱を平定し、大軍を従えて凱旋する途中で川岸を通りかかっていた。森から一人の声が勝利を叫ぶのを聞いた王は興味を抱き、仙人を前に連れてくるよう家来を遣わした。
王の問い
王は言った。「わしは今しがた反乱を鎮め、軍勢を率いて凱旋したばかりだ。それでも、お前のように勝利を叫んだことは一度もない。ここで何ももたずにただ独りで暮らすお前は、いったい誰に勝ったというのか。」クッダーラは、たった今得た勝利は王の兵士が勝ち得るどのような勝利よりも大きいと答えた。なぜなら、今日に至るまで六度も渇愛の暮らしへと引き戻していた、ただ一つの財産である錆びた鋤を捨てたからである。
内なる敵に勝つこと
仙人は、王が他の人々に勝つ勝利は常に覆されうると説いた。敗れた敵は再び立ち上がるかもしれず、新たな敵が現れるかもしれないからである。しかし自らの貪欲に勝つことは、一度完全に成し遂げられれば、神々や人間のいかなる力によっても覆すことはできないと。この言葉を聞いた波羅奈国のブラフマダッタ王は、その真理が心に刺さるのを感じ、自分も宮殿に帰る代わりに、遊行する行者になると宣言した。
仙人に従った王国
王自らが王位を捨てようとしているという知らせが広まると、大臣も兵士も波羅奈の民も、取り残されまいと決意した。従う者たちの大行列は、長さ十二ヨージャナに及ぶとされ、都を出て、クッダーラと王とともにヒマラヤへ向かって歩んだ。彼らは、あの鋤の仙人が見出したのと同じ内なる平安を求めて、世俗の暮らしを捨てたのである。
帝釈天が授けた僧院
神々の主である帝釈天は下界を見下ろし、住まいの用意もなく集まった多くの出家者の群れに気づいた。帝釈天は神々の工匠ヴィッサカンマに命じて、ヒマラヤの麓に長さ三十ヨージャナ、幅十五ヨージャナの僧院を築かせた。そこには小屋や散策の道、そして行者に必要なすべてが備えられ、王と民が安らかに、そして安全に新たな暮らしを続けられるようにした。
仏陀による前世の明かし
師がジェータ林でこの物語を語られた時、それは修行において心を定めることができなかったある比丘のために説かれたものであると説明された。師はご自身がその生で鋤の仙人クッダーラであったことを明かされ、森へ後を追った王ブラフマダッタは、その生では師の弟子アーナンダであったと示された。この前世の明かしは、『一集』の本生の中で第70番、クッダーラ本生として数えられている。
波羅奈を越えて伝わる教え
この物語は、パーリ聖典の中で、どれほど小さく、それ自体では価値のないものへの執着であっても、いかなる大きな所有物よりも頑強に心を捕らえうることを最も明らかに示す一つである。クッダーラの七度の試みは、出離が最初の試みで成し遂げられることは稀であることを示し、彼の最後の勝利は、断ち切るべきものは執着されたものの価値ではなく、執着する力であることを示す。ガンジス川のほとりで園丁が上げた勝利の叫びは、他者に勝つことではなく自己に勝つことを説く、その後のすべての教えの模範となった。
ご存知でしたか?
鋤頭本生譚は小部経典『一集』に収められた第70話の本生譚である。
鋤は菩薩のただ一つの財産であったが、それが六度も彼を森から連れ戻した。
「我は勝てり」(ジタン・メー)という歓喜の叫びは、内なる渇愛を打ち破る勝利の象徴となった。
仏陀は、その生における波羅奈国の王が弟子のアーナンダであったと明かされた。
帝釈天は神々の工匠ヴィッサカンマに命じ、王の随行者のために長さ三十ヨージャナの僧院を築かせた。
