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Embroidered artwork for ラージョーヴァーダ・ジャータカ:狭い山道で出会った二人の王: Embroidered Buddha seated in meditation on a pink lotus, with a golden dharma wheel and a white stupa in the mountains

ラージョーヴァーダ・ジャータカ:狭い山道で出会った二人の王

ジャータカ第151話:権勢の等しい二人の王が陥没した山道で出会い、怒りを慈しみで、悪を善で制した者に道が譲られる。

ジャータカ物語仏陀持戒(道徳)

仏陀はこの物語をジェータヴァナ精舎で説かれた。『ジャータカ・アッタカター(本生経註)』には第151話、「ラージョーヴァーダ・ジャータカ(王の諫め)」として記されている。物語は、コーサラ国の王の来訪から始まる。王は非常に難しい訴訟を裁き終えたばかりで、食事を済ませるやいなや、手もまだ乾かぬうちに精舎へと急いで来た。仏陀がなぜこの時刻に来たのかと問われ、王は理由を申し述べた。仏陀は王を称賛したうえで、真に驚くべきことは、全知の師が傍らにいて公正に裁く王のことではなく、普通の学者の助言しか持たずとも法によって国を治めた昔の王たちのことである、と説かれた。

公正な王となった王子

遠い昔、バラナシでブラフマダッタ王が統治していた時代、菩薩は王妃の胎に宿った。王妃にふさわしい儀礼を経て王子が生まれ、命名の日にブラフマダッタ王子と名づけられた。十六歳のとき、王子は学問のためタッカシラーへ赴き、そこであらゆる学芸を修めた。父王が亡くなると、王子は王位についた。

人のいない法廷

新王は正直に統治し、自らの気まぐれに重きを置かなかった。大臣たちも王の範に倣って公正であった。やがて偽りの訴えを法廷に持ち込む者はいなくなった。王宮の門前で請願する人々の喧騒は消え、裁判官は一日中座していても一件の訴訟も見ないほどであった。

菩薩は静まり返った法廷を見て思いを巡らせた。もしかすると、この静けさは自分の善い統治のおかげなのかもしれない。だが、誰も口にできないような欠点が自分にあるのかもしれない。もしそれを見つけられたなら、その欠点を捨て、さらによく生きようと思われた。

欠点を探して

まず宮廷の人々に尋ねたが、耳にするのは自分への称賛ばかりであった。彼らが恐れて言わないのかもしれないと考え、市民に尋ね、さらに都の四つの門の近くに住む村人に尋ねた。どこでも答えは同じであった。

ついに菩薩は政務を大臣たちに委ね、御者ただ一人を伴い、身をやつして馬車で都を出た。国境に至るまで国中を巡り、一人でも正直な批判者に出会えることを望んだ。しかし見つけられず、大道に沿って家路へと引き返した。

窪んだ道の二人の王

不思議な巡り合わせで、コーサラ国のマッリカ王もまさに同じことをしていた。彼もまた公正な君主で、故国では賞賛の言葉しか聞いたことがなかった。自国中を探し歩いた末に、ちょうど同じ場所にたどり着いたのである。

二台の馬車は、道が両側の土手の間に深く窪んだところで出会った。どちらも相手を追い越す余地がなかった。マッリカの御者が「馬車をどけろ!」と叫んだ。バラナシの御者は、自分の車にはブラフマダッタ大王が乗っており、道を譲るべきは相手だと答えた。コーサラの御者は、自分の車にはマッリカ王が乗っているのだから、その要求はそのまま返すと応じた。

御者たちが主君を比べる

バラナシの御者は、どうすべきかと考えた。若い王が年長の王に道を譲るべきだと決め、相手の御者に主君の年齢を尋ねた。二人の王は同い年であった。権力、富、名声、カーストと家系についても尋ねたが、すべてにおいて互角であった。どちらの王も三百由旬の長さの国を治めていた。

そこで御者は新たな試みを提案した。道は、より優れた人に譲られるべきである。そこで各御者が、自らの主君の徳を述べよう、と。

二つの詩句

マッリカの御者が先に語った。彼は主君の欠点を徳として示した。主君は荒々しい者には荒々しさで、穏やかな者には穏やかさで応じるという。善には善をもって報い、悪には悪をもって報いる。最後に彼は言った。「道を空けよ、御者よ。これが我らの主君のやり方である」。

バラナシの御者は、それだけかと尋ねた。「もしこれが主君の徳なら、その欠点は何だというのか」。相手は、もっとうまく言えるならやってみよ、と言った。そこでバラナシの御者は第二の詩句で答えた。彼の王は、怒りを慈しみによって克服し、悪に善をもって応じる。物惜しみをする者を施しによって制し、偽りを語る者を真実によって退ける、と。

マッリカ王が道を譲る

マッリカ王と御者はこれらの言葉を聞いて悟った。二人は馬車を降り、馬を解いて、馬車を道の脇へ押しやり、バラナシの王のために道を開けた。それから菩薩はマッリカ王に、王はどのように生きるべきかを友として説いた。その後、菩薩は自らの都へ戻り、生涯にわたって布施を行い善行を積み、最期には神々の世界へと往かれた。

マッリカはこの教えを心に刻んだ。彼は国中を巡ったが、欠点を指摘する者は一人も見つからなかった。コーサラへ戻ると、布施を行い善行を積み、やがて彼もまた天界へ赴いた。

仏陀による同定

仏陀はコーサラの王を教えるためにこの物語を語り、その遠い昔の出会いに登場した人々を名指しされた。マッリカの御者はモッガッラーナ(目連)であった。マッリカ王はアーナンダ(阿難)であった。バラナシの王の御者はサーリプッタ(舎利弗)であった。「しかし私自身は、その王であった」と仏陀は言われた。

王たちよりも長く伝わった教え

このジャータカの第二の詩句は、『法句経』第223偈として今に伝わっている。怒りを怒らないことで克服せよ、悪を善で克服せよ、物惜しみを布施で克服せよ、嘘つきを真実で克服せよ。『ラージョーヴァーダ・ジャータカ』はこの偈に背景を与えている。対等な二人の統治者の間で、その教えが試される場面を示しており、両者を分けるものは振る舞いのみである。

この物語は謙虚さについても静かに語っている。二人の王は身をやつして自らの欠点を探しに出る。そして二人とも、正されることを望むほどに誠実である。マッリカはより良い答えに出会うと、議論しない。馬車を降り、そこから学ぶ。求道者も同じ姿勢をとることができる。権力や地位が釣り合っているかどうかを問うのではなく、怒りが忍耐によって応えられたか、物惜しみが寛大さによって応えられたかを問うのである。

ご存知でしたか?

ラージョーヴァーダ・ジャータカ(第151話)は『ジャータカ・アッタカター』のドゥカニパータ(二集)に収められ、コーサラ国王のためにジェータヴァナで説かれた。

第二の詩句は、怒り、悪、物惜しみ、虚偽を克服することについて『法句経』第223偈と同じ教えである。

二人の王は年齢、権勢、財産、家系において等しく、それぞれ三百由旬の長さの国を治めていた。

マッリカの御者は荒々しさに荒々しさで返すことを称え、バラナシの御者は過ちに徳で返すことを称えた。

モッガッラーナはマッリカの御者、アーナンダはマッリカ王、サーリプッタはバラナシの御者であり、仏陀はその王であった。

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