ジェータヴァナでの因縁
ブッダはジェータヴァナに滞在しているときに、小部経典に収められた本生譚第441話となるこの物語を説かれた。修行僧たちがブッダの論議の巧みさと、いかなる論敵をも議論で沈黙させる力を讃えていたときのことである。ブッダは、この智慧は自分にとって新しいものではないと告げられた。前世において、黒山の頂にいた賢明な大臣ヴィドゥラとして、同じく自らの理性の力によって、猛々しいヤッカの将軍プンナカを教化し沈黙させたのである。布薩の四つの実践についてのこの物語は、その大きな物語の冒頭の場面である。
修行者となった四人の友
遠い昔、ヴァーラーナシーに、若いころからの親しい友であった四人の裕福なバラモンの在家者が住んでいた。彼らは共に、感覚の快楽の内に隠れた苦しみを見て取った。快適な家庭を捨てて、四人はヒマーラヤへ入り、修行者の生活を選んだ。そして瞑想を極め、それぞれが昼のあいだに遠く、より輝かしい世界を訪れる力を得たのである。
四人の施主と天界の幻視
塩と調味料を得るために、彼らがアンガ国のカーラチャンパーの町へ降りてきたとき、そこに住む四人の在家者は、その威厳ある佇まいに心を打たれ、修行者それぞれに、毎日の食べ物と庭園の住まいを提供した。食後、修行者それぞれは一日を、異なる世界を訪れて過ごした。一人は三十三天へ、一人は龍の世界へ、一人は金翅鳥の世界へ、そして一人はコーラヴィヤ王の御苑へ行った。コーラヴィヤ王とは、ダナンジャヤであり、その名の由来となったクル王朝の統治者である。毎夕、修行者は戻ってきて、食事を施してくれた在家者に、目にした壮麗さを語った。そして在家者は、深く心を動かされて、そのような世界に生まれ変わる功徳を得る善行を行うことを決意したのである。
その後に続いた再生
彼らの寿命が尽きたとき、在家者それぞれの願いは、そのとおりの実を結んだ。一人目は神々の王、帝釈天として生まれた。二人目は龍の世界で、自らの妻と宮廷をもつ蛇の王、ヴァルナとして生まれた。三人目は、大きな金翅鳥の精霊たちの王として、シンバリ湖のほとりの宮殿に住むこととなった。四人目はクル国の王ダナンジャヤの王妃の息子として宿り、やがてまさにその王位を継いだ。一方、彼らに教えた四人の修行者は、さらに高く、梵天界に生まれ変わった。
王、大臣、そして徳
四人目の友は、今やダナンジャヤ王としてクル国を統べていた。彼は正義をもって統治し、博打の技に長けていることで名高く、とりわけ大臣ヴィドゥラの助言に頼った。ヴィドゥラは王を、布施、道徳的な行い、そして布薩の断食日の忠実な実践へと導いた。
四人の王が中断された誓いを守る
ある布薩の日、帝釈天、ヴァルナ、金翅鳥の王、そしてダナンジャヤは、それぞれが自らの世界で断食を守ろうと決意した。しかし、いずれも、自分の居場所では平安な修行を妨げる何らかの障害を見出した。より適した場所を探して、四人はまったく偶然に、かつて彼らの師であった修行者たちが滞在していたまさにその庭園に行き着き、そこで一日中、それぞれが瞑想を保った。
再会と論争
夕暮れが訪れ、四人が王家の池のほとりで瞑想から立ち上がると、彼らは互いを、共有する過去から認め合い、温かく挨拶を交わした。帝釈天は、四人が今やそれぞれの領域で王として統べているのだから、それぞれが他の誰よりも優れる徳の名を挙げるべきだと提案した。ヴァルナは、自らの徳は忍耐であると主張した。宿敵であり伝統的な獲物である金翅鳥に対してさえ、怒りを生じさせることがないからである。金翅鳥の王は、自らの徳は自制であると主張した。適当な獲物が手近にあっても、戒律を破るよりは飢えに耐えたからである。帝釈天は、出離であると主張した。人間のなかで誓いを守るために、神々のあらゆる快楽を捨て去ったからである。ダナンジャヤは、執着を離れることであると主張した。修行を孤独に実践するため、宮廷全体と一万六千人の踊り子たちを後に残したからである。
ヴィドゥラの裁定
どの徳が最も偉大であるかを決めかねた四人の王は、その争いをヴィドゥラのもとへ持ち込むことに同意した。ダナンジャヤが他のどの人物よりも智慧を讃えた人物である。彼らは集会堂へ赴き、ヴィドゥラの前にそれぞれの主張を述べた。ヴィドゥラは、それぞれに自らの論を繰り返すよう求め、四人の言葉をすべて聞き終えると、そのうちのどれかを上位に置くことはしなかった。かわりに、四人の言葉はいずれも見事に語られたと宣言した。そして、忍耐、自制、出離、執着を離れることが、車輪の轂に嵌め込まれた輻のように、等しく一つに結ばれている者こそ、真に修行者と呼ばれるに値するのだと告げた。
王たちの感謝
四人の王は、ヴィドゥラが一つの徳を他に優先させることによってではなく、四つすべてが一つの全体を完成させることを示すことによって、彼らの争いを解決したことに喜んだ。そして、天界の衣、金の花輪、宝石、そして千頭の牛によって、彼を豊かに報いた。彼らの対抗心を分かち合われた理解へと変えた智慧を讃えたのである。
論争を超えて伝わる教え
ヴィドゥラ一連の物語の、この冒頭の場面は、「四布薩」として記憶されており、戒律の誓いの実践を通して培われた徳は、互いに取り替えのきく競争相手ではなく、一つの人格の補い合う部分であり、それぞれが他を支えるために必要とされることを教えている。ブッダがこの物語を特に語られたのは、ジェータヴァナの修行僧たちを感嘆させた、ご自身の理に適った論議の技量が、ヴィドゥラが誇り高い四人の王を調和させるために、そして後の場面では同じ智慧によって夜叉プンナカそのものを沈黙させるために用いたのと、同じ能力であることを示すためであった。この教えは、あらゆる共同体にとって生き続けている。誠実に徳を備えた人々のあいだの争いは、勝者を宣言することによってではなく、それぞれの人の徳が、より大きく共有された輪のなかにどのように収まるかを示すことによって、しばしば最もよく解決されるのである。
ご存知でしたか?
『十集』第441話であり、コーウェル版では略述にとどまり、完全な物語は『ヴィドゥラ・パンディタ本生』(第545話)に委ねられている。
中心となる四人の人物は動物ではなく、天神(帝釈天)、龍王(ヴァルナ)、金翅鳥の王、そして人間の王(ダナンジャヤ)である。
四人はかつてベナレスの在家の者であり、苦行者から天界の様子を聞いて、そこに生まれることを願った。
争いを裁くヴィドゥラは菩薩その人である。ここに示される智慧は、後の段でヤクシャのプンナカを論破する智慧と同じである。
ヴィドゥラの判定は、四つの徳を車輪の轂に均等に嵌め込まれた輻にたとえ、四つすべてを等しく讃えている。
