感覚を守らなかった比丘たちに対する導入の物語
南伝パーリ経典の小部に収められた本生集の第四百三十七話、プーティマンサ本生は、感覚を守らなかった比丘たちに対し、ジェータヴァナで仏陀によって語られた。仏陀は、外面と内面の美しさに心を奪われることを戒められた。そのようなことに思いを向ける比丘は、本来あるべき領域から離れ落ちてしまうからである。すなわち、念処、正精進、如意足、そして八正道と九つの出世間の境地からである。誤った瞬間に見ることがいかに人を惑わすかを示すために、仏陀は山犬プーティマンサの物語を語られた。
山犬の夫婦と減っていく群れ
ヴァーラーナシーのブラフマダッタ王の治世に、ヒマラヤの斜面の山の洞窟には数百頭の野生の山羊が暮らしていた。その近くには、プーティマンサ(「腐った肉」の意)と呼ばれる山犬と、その妻ヴェーニー(「編んだ髪」の意)が住んでいた。山犬は食べ物のために山羊を殺し続け、群れは減っていき、ついには賢い雌山羊メーラマーターただ一頭が残された。
友情と偽りの死の上に築かれた計略
メーラマーターはあまりに賢く、直接捕らえることはできなかった。そこで山犬たちは計略を練った。ヴェーニーが雌山羊と友情を結び、プーティマンサが死んだふりをする。山羊が彼を悼みに来たところで、彼は飛び起きて捕らえる、という計画であった。
死体へと導いた友
ヴェーニーは雌山羊の信頼を得て、死んだように見える山犬の方へ導いていった。しかしメーラマーターは用心深くなった。彼女はヴェーニーを先に行かせ、遠くから見守った。地に横たわる姿の一つひとつの動きを量りながら。甘い言葉をもって近づく友が、姿を変えた狩人であることもありうると知っていたからである。
開いた眼を見た山羊
プーティマンサは頭を上げ、開いた眼でじっと見つめた。メーラマーターはすぐにその策略を見抜き、逃げ去った。走りながら、その凝視の様子が気に入らないこと、そのような友には用心し、遠く離れているべきだと叫んだ。
山犬同士の口論
ヴェーニーは戻ってきて、死んだふりをしているだけなのに頭を上げてじっと見るなど、なんと愚かなことをしたのかと夫を叱った。プーティマンサは、友情を誇って彼女を窮地に座らせたのはヴェーニーだと責めて応じた。
二度目の試みと巧みな返答
ヴェーニーは雌山羊を追いかけ、夫がふたたび生き返ったと告げ、かつての友情を取り戻してほしいと懇願して、彼女を引き戻そうとした。メーラマーターは同意するふりをし、大勢の供を連れて行くと言った。不安になったヴェーニーが、誰が一緒に来るのかと問うと、メーラマーターは、宴席まで彼女を護送する猛々しい猟犬の群れの名を挙げた。その中にはマリヤとピンギヤも含まれていた。
二度と戻らなかった山犬
恐れおののいたヴェーニーは、雌山羊に自分の場所に留まるよう促し、夫へ挨拶を伝えると約束した。彼女は家へと急ぎ、二匹の山犬は逃げ去って、その場所には二度と戻らなかった。群れがすべて失われた中でも心の平静を保った雌山羊は、安らかに生き続けた。
仏陀の偈頌と身元の明示
物語を終えた仏陀は、目覚めた後に一つの偈を語られた。賢き者は目を開くべき時と閉じるべき時を知っている。しかし誤った瞬間を見つめる者は、プーティマンサのように苦しむ、と。その上で仏陀は、その生における菩薩を、近くの古い森の木に住み、この出来事を見守っていた神格であると示された。
一匹の山犬の策略を超えて残った教え
メーラマーターを救ったのは、力でも大胆さでもなく、信頼する前の慎重で忍耐強いまなざしであった。仏陀がジェータヴァナの比丘たちに求めたのも、まさにこの見極めの力であった。感覚を守ること、そして心地よい外観によって道から連れ去られないことである。誤った瞬間に見る比丘、あるいは試すことなく表面を信じる比丘は、頭を上げてしまった山犬と同じである。敵の力によってではなく、自らの守られていない眼によって身を滅ぼすのである。したがって、自制は鈍さではなく、旅人と共同体の双方を道の上で守る、静かで注意深い智慧なのである。
ご存知でしたか?
第四百三十七本生は、感覚を守らなかった比丘たちに対してジェータヴァナで語られたものであり、山犬の命取りとなった凝視が戒めの象徴である。
山犬プーティマンサ(「腐った肉」の意)と、その妻ヴェーニー(「編んだ髪」の意)は共に獲物を狙う。賢い雌山羊は、メーラマーター(「山羊の母」の意)と呼ばれる。
山羊が逃れ得た理由は一つの細部に懸かっている。山犬は死んだふりをしながら、頭を上げて開いた眼で見つめてしまったのである。
九つの詩句のうち、一つは目覚めた後に仏陀自身が語るものであり、残りは山羊と山犬の夫婦が語るものである。
この生における菩薩は、古い森の木に住み、出来事をじっと見守る神格である。
