サーリプッタの解釈の賜物
ブッダは、ジェータヴァナにおいて、パーリ聖典の一集に収められた本生譚第135話となるこの物語を説かれた。長老サーリプッタが、サンカッサの門で投げかけられた難しい問いを解き明かした、その見事な技量にまつわる話である。ブッダは、難解な教えを解き明かすサーリプッタの賜物が、ほかの者の疑いに対して正しさを示したのは、今回が初めてではないと説かれ、その由来を示すために前世の物語を語られた。
森の師の最後の言葉
ヴァーラーナシーでブラフマダッタ王が治めていた時代に、菩薩は森に住む修行の師として暮らし、ヒマーラヤのダッダラ山で弟子の一団に瞑想を指導していた。その命が尽きようとしたとき、弟子たちは彼のまわりに集まり、最後の導きの言葉を求めた。菩薩はただ二つの言葉、月光と日光、すなわちチャンダーバーとスーリヤーバーで答え、その言葉とともに息を引き取った。彼の心は、長年にわたって修めてきた輝く瞑想に定まったままであった。
争われた意味
集まった弟子たちのなかで、首席の弟子、すなわちのちにサーリプッタとなる同じ魂は、菩薩の言わんとしたことをただちに理解した。彼はほかの者たちに説明し始めた。死にゆく師は、太陽と月を観想の対象とする瞑想を確かめていたのであり、その修行は心を通常の天界を超えて、輝く梵天界そのものへと運びうるのだ、と。しかし、ほかの弟子たちはこの解釈を受け入れなかった。そのような単純な二つの言葉が、それほど精密な意味を担いうるとは信じがたかったのである。論争は、彼らの間で解決されないまま続いた。
輝く世界からの声
菩薩は、今や光音天の輝く世界に大梵天として生まれ変わっており、最後の言葉が引き起こした論争を見通した。彼は戻り、新たな光に満ちた姿で、かつての弟子たちの上空に現れた。そして、首席の弟子が理解したことをまさに確かめる偈を唱えた。太陽と月を瞑想の対象とし、それらが可能にする禅定の段階を通して心を運ぶ者は、どのような下位の天界ではなく、輝く梵天のなかに生まれる、と。彼は集まった人々の前で、首席の弟子の正しい解釈を讃え、それから自らが来た梵天界へと戻っていった。
ブッダによる前世の対応関係
教えを結ぶにあたり、ブッダは二つの生にまたがる登場人物を明かされた。死にゆく師の最後の言葉を正しく理解した首席の弟子はサーリプッタであり、死を超えた彼方から、その解釈を確かめた大梵天となった森の修行者こそ、ブッダご自身であった。この本生譚は、ほかの者が疑ったとき難しい問いを正しく解いたサーリプッタの、のちの名声の深い根をこの挿話に見ている。ブッダはそれを、現在の生の才気だけに帰したのではなく、死の境界を越えてもなお真であると証された理解に由来するものとして辿られたのである。
一つの修行を担う二つの言葉
本生譚の劇的な核心は、死にゆく師が実際には、いかに少ししか語らなかったかにある。彼は自らの瞑想について説明せず、通過してきた禅定の段階について語ることもなく、ただ月光と日光という素の二つの言葉を残した。彼は、その種の教えを理解するよう既に訓練された心なら、その二語のうちに、一つの修行全体が最も単純な形に凝縮されていることを認めるだろうと信じたのである。この凝縮こそが、まさに弟子たちを分けた。言及を認識する訓練を欠く者たちには、死にゆく男が語った二つのありふれた言葉としか聞こえなかった。一方、首席の弟子は、太陽や月を集中の対象とする視覚的対象の瞑想、すなわち遍処の修行にすでに通じており、師が従った道がどこへ至るのかの完全で精密な表明を、その二語のうちに聞き取ったのである。
死を超えた確証
仏教の注釈は、菩薩が輝く梵天の姿をもって戻ってきたことを、正しい推測の単なる確証以上のものとして扱う。最後の言葉が指し示していた世界そのものから身をもって現れることで、菩薩は教えの真実を単に主張するのではなく、示したのである。弟子たちは、二つの謎めいた言葉が名指していた行き先を、直接見ることができた。本生譚は、いくつかの疑いは、たとえ首席の弟子の推論がどれほど確かであったとしても、論証だけでは決着がつかないことを示唆している。瞑想が何を生み出すかという教えについての最も明らかな証明は、それが実際に生み出したものの、生きた輝く証拠なのである。解釈になんの訂正も必要としなかったサーリプッタでさえ、その瞬間から、代えがたいものを得たことが示されている。自分を疑った聴衆の前での公的な名誉回復は、その後の生涯にわたって彼の教えを特徴づけることになる、自らの洞察への確信の始まりとして、本生譚に描かれているのである。
ご存知でしたか?
第135話の本生譚(一集所収)は、長老舎利弗がサンカッサの城門で難問を解決した才覚にまつわる物語である。
林の苦行の導師であるボサツは、臨終の際、弟子たちに二つの言葉、月の光と日の光(チャンダーバーとスリヤーバー)だけを告げられた。
首席の弟子はこれを、太陽と月を観想して輝ける梵天界へ至る道を肯定する言葉と理解したが、他の弟子たちはその解釈を疑った。
光音天(アーバッサラ)に大梵天として生まれ変わったボサツは、空中に現れて首席の弟子の解釈を確かめ、衆の前でその人を称えた。
仏陀は、首席の弟子が舎利弗であり、その教えを確かめた大梵天となった林の苦行者が仏陀ご自身であることを明かされた。
