自らの食欲に支配された比丘をめぐる額縁の物語
パーリ仏典のジャータカ第260番は、食べ物への貪りが抑えきれないほど膨らみ、それまで歩んできた道の歩みを台無しにしかねなくなった一人の比丘について、仏陀が語られたものである。そうした飢えがどれほど人を駆り立てうるか、そしてそれがなお智慧へと向けられうるかを集いの人々に示すために、仏陀は一つの古い物語を思い起こされた。それはベナレスの王と、かつて王の食事に勝手に手をつけた見知らぬ男の物語であった。
食卓の作法で国じゅうに知られた王
その前世において菩薩はベナレスの王として治め、王の食卓の優雅さで国じゅうに知られていた。例外なく守ってきた習わしに従い、王は毎日、飾られた楼閣のなかで、民が見渡せる場所で食事をとった。そのため、広場を通りかかる者は誰でも、自らの君主が食事をする姿を見ることができた。
使者が自由に近づくことを許す掟
宮廷の古くからの習わしの一つに、使者、すなわち「ドゥータ」には、王がどこにいても自由かつ即座に王へ近づくことを認める掟があった。王の務めは儀礼を待つことができなかったからである。広場の端に立ち、王の食事が運ばれるのを見つめていた飢えた男は、この一つの習わしこそ、自分の飢えを満たすのに十分な速さで開きうる唯一の扉であると、たちどころに悟った。
使者の特権を名乗った飢えた男
緊急の王命を帯びているかのように、両手を合わせて駆け寄った男は、自分は使者として来たのだと叫んだ。衛兵たちが、いったいどのような伝言を運んでいるのかとたずねる前に通してくれることを頼みにしたのである。その主張はまさに男の狙いどおりに働き、誰にも止められる前に、彼は王自身の皿に手を伸ばし、一口の食べ物を唇の間に押し込んでいた。
罰よりも好奇心を選んだ王
男の手が王の皿に触れた瞬間、衛兵たちは彼を捕らえようと動いた。しかし菩薩は自らの手を上げて衛兵を止めた。菩薩は、見知らぬ男の大胆さに腹を立てるよりも、むしろそれに興味を惹かれたのである。王は、この無礼を罰するよう命じるかわりに、男を座らせて、きちんと食事を分け合うように招いた。ただ一口のために命を賭けるほどの絶望が、どのような種類のものであるのかを知ろうと選んだのである。
食事が終わってから告白された真実
王自身の招きによって、見知らぬ男が腹いっぱいに食べ終えたとき、菩薩はついに、彼が本当はどのような伝言を届けに来たのかをたずねた。男は、自分は王の用件など何も携えていないと告白した。自分は「欲」と「腹」の使者であり、それらこそ自分が仕える真の主人であると名指した。さらに彼は、この二つの力が、王も乞食も含めて、あらゆる生き物にどれほど大きな力を及ぼし、そのどれをも、ふだんなら決して敢えてしないような行いへと駆り立てているかを、王に語った。
欺きを罰するより正直さを讃えた王
菩薩はこの策略に欺かれたと感じるどころか、男が自分を駆り立てた力を率直に名指したことを喜んだ。王は、その力が乞食を支配するのと同じように、自分自身の食欲をも支配していることを認めていたからである。王は見知らぬ男に千頭の牛を与えた。欺瞞だけでは男が決して得られないほど大きな贈り物であり、王の皿から食べ物を奪った普通の盗人が受けるであろうものをはるかに超えていた。
比べられても王が恥じなかった理由
菩薩が、ひそかにその策略に憤るのではなく、見知らぬ男を惜しみなく報いることができたのは、食卓に座る乞食を支配するのと同じ二つの力が、自分をも同じく支配しているという、正直な認識があったからである。金の皿から食べ、飾られた楼閣で食事をする王もまた、結局は、一口のために死を賭けるほど飢えた男を駆り立てたのと同じ飢えに応えていた。それを否定すれば、見知らぬ男が勇気をもって口にした真実を覆い隠すことにしかならなかったであろう。
貪欲な比丘のために仏陀が引き出した教え
仏陀は、この物語を語るきっかけとなった、自らの食欲を抱えた比丘へと集いの注意を戻して、物語を締めくくられた。王自身の反応のうちに、比丘に、自らの飢えを、密かにそれに支配されるのではなく、正直に向き合う模範を示されたのである。古い物語が教えるのは、「欲」と「腹」が、息をするすべての生き物を支配するということであり、最も賢い応答は、その力を否定することではなく、ちょうどかつて飢えた見知らぬ男が王の食卓でそうしたように、それを明らかに認めることである。
ご存知でしたか?
「ドゥータ」とは「使者」「使節」を意味し、飢えた男が自らを胃袋大王の特使と名乗ったことに由来します。
パーリ仏典における「ウダラッサ・ドゥータ(胃袋の使者)」という表現は、人間の哀しい宿命を突いた不朽の格言となりました。
豪奢な美食に溺れる王も施しを乞う盗人も、本質的には同じ肉体の飢えに支配された僕にすぎないという深遠な平等の真理を突いています。
身分の低い者の言葉であっても真理と認めれば私心を捨てて受け入れる菩薩の智慧(パンニャー)が光ります。
食欲の奴隷となることを戒め、貧民への分かち合いと布施を奨励する名高い教訓譚です。
