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Embroidered artwork for マハーカピ本生譚:背かれてなお導く崇高な大猿王: Embroidered Buddha seated in meditation on a pink lotus, with a golden dharma wheel and a white stupa in the mountains

マハーカピ本生譚:背かれてなお導く崇高な大猿王

深い穴に落ちた飢えた男を救った大猿王は、眠っている間に石で殴られても、血を流しながら裏切り者を森の外まで無事に導いた。

二度投げられた石

ジェータヴァナ(祇園精舎)において、比丘たちは、提婆達多が競争心から仏陀に害を加えようと繰り返し企て、かつて仏陀に石を投げつけたことがあったと語り合っていた。仏陀は、それが初めてのことではないと告げられた。同じ男が、はるか昔の生において、一度仏陀に石を投げたことがあったのだ。そして仏陀は、その古い物語の全体をお語りになった。

隠された深淵への転落

その遠い昔、カーシ国のあるバラモンの農夫が、失った牛を探して森に入り、七日間食べ物もなくさまよった。崖の縁から伸びる果樹を見つけた彼は、それを食べようとよじ登ったが、足を滑らせ、地獄そのもののように暗く深い穴へ六十キュービット(およそ九十フィート)落ちた。そこから登り出る術はなく、彼はさらに十日のあいだ横たわっていた。

慎重に準備された救出

近くに住む一匹の大猿が、彼の叫び声を聞いて穴の縁へやってきた。何かを試みる前に、猿は重い石を使って自分の力を確かめた。その高さを、人一人の体重を背負って登り切れるかどうか確信がもてるまで、危険を冒すことはしなかった。納得すると、猿は穴へ降り、飢えた農夫を背に乗せ、安全な地上へと登り戻った。

眠りに石で報いる

努力に疲れ果てた猿は、救ったばかりの男のそばで休むことだけを願い、森には野獣がうろついているから、眠っているあいだ見守っていてほしいと頼んだ。猿が眠ると、農夫はまだ半ば飢えたまま、猿の体が飢えた旅人にどれほどの肉を与えるかに気づき、石を拾い上げ、殺すつもりで力いっぱい猿を打った。

それでも見捨てなかった道案内

傷を負い血を流しながらも、猿は即死することなく、手の届かない木々の中へ逃れた。彼は、一人残された農夫が決して森から出る道を見つけられないことをすぐに悟った。そこで猿は、彼の前を枝から枝へと跳び移り、身の安全を保てるだけの距離を保ちながら道を指し示し、自分を襲った男を一歩ずつ導いて、ついにヴァーラーナシー近くの耕作地が見えるところまで連れて行った。

到来までに七年を要した報い

農夫はハンセン病に冒され、七年のあいだ苦痛のうちにさまよった後、ヴァーラーナシー近くのミガチーラ園にたどり着いた。そこで、その町の王が彼を見つけ、なぜそのような苦しみに陥ったのかを尋ねた。農夫は、強制されることなく、自ら一部始終を語り、自分の恩知らずと裏切りを告白した。彼の告白が終わるやいなや、大地が彼の足もとで口を開き、彼を地獄へと呑み込んだ。

仏陀による前世の特定

仏陀は、この教えを締めくくるにあたり、裏切りの農夫は提婆達多であると明かされた。そして、彼を救った猿の王は、ご自身であったと示された。猿は、自らの傷から血を流しながら彼を家へ導き、自分を殺そうとした者の安全な帰還以外に何も求めなかったのである。パーリ聖典のジャータカ第516話は、この物語をこの語りのもとに記録している。

誰かを危険にさらす前に自らを試した救出

猿が穴へ降りる前に石を使って練習したことは、見過ごされやすい。けれども、それは彼が単なる衝動のままに慈悲を発したのではなく、より熟慮深い者であったことを示している。彼はただ感情に従い、六十キュービットの登攀の途中で、別の生き物の全体重を背負って自分の力が足りると願って行動したわけではない。まず自らの能力を確かめたのである。それは、崖の途中で彼の慈悲が崩れ、二人の命を失うことのないためであった。

猿が同じ行いで返すことをしなかった裏切り

打たれたことに対する猿の応じ方には、農夫が受けるべきものを計算する心はまったく含まれていなかった。彼は、これほどの暴力を振るう男がさらなる助けを求める権利を失ったとは考えなかった。ただ、見捨てられた農夫は、彼が何をしたかにかかわらず森で死ぬであろうと認め、その事実を、なおも導く十分な理由とみなした。この本生譚は、これを超人的な自制としてではなく、他者の残酷さに自分の次の行いの形を決めさせることを拒んだ姿として示している。

聴く者がもはや残っていなくなった後に自ら与えられた告白

七年後に農夫が王の園にたどり着いたとき、自らの罰の目に見える証を身にまとい、もはや誰も彼に釈明を求めてはいなかった。それでも彼は、最も彼を貶める部分も含め、すべての経緯を語った。まるでハンセン病だけでは、彼が負っている説明がまだ終わっていないかのように。大地の裁きは、彼自身の言葉がすでに彼を有罪としてしまった後にようやく訪れた。遅ればせながら、告白そのものは、この物語がなお完結させるために必要としていたものなのである。

ご存知でしたか?

マハーカピ本生譚(#516)は、命を狙う裏切りに対しても揺るがない忍辱(クハンティ)と慈悲(メッター)の極致を示す。

姿は獣でありながら崇高な菩薩と、人の姿をして獣にも劣る悪人の対比が鮮やかに描かれている。

アジャンター石窟寺院やバールフットの浮雕には、猿王が男を背負って断崖を登る場面が描かれている。

大地が裂けて男を飲み込む結末は、大罪が即座に現世で報いを受ける業(カルマ)の峻厳さを物語る。

傷口からの血潮で帰り道を教える菩薩の姿は、敵対者すら救済しようとする仏教の無条件の慈愛の象徴である。

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