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Embroidered artwork for ダンマッダジャ本生譚:雛鳥を喰らった偽りの苦行者: Embroidered Buddha seated in meditation on a pink lotus, with a golden dharma wheel and a white stupa in the mountains

ダンマッダジャ本生譚:雛鳥を喰らった偽りの苦行者

難破した烏が、海鳥の群れの信頼を得るために聖なる苦行者を装い、やがて雛鳥を貪り食う。鳥王がその現場を押さえるまで続く。

ジャータカ物語仏陀般若(智慧)

新しくはなかった偽りをなす比丘

ジェータヴァナ精舎において、仏陀は、比丘たちのあいだで欺瞞的な振る舞いが明るみに出た一人の比丘について語られた。この者にこのような偽りが現れたのは、今回が初めてではないと、仏陀は集まった比丘たちに告げられた。同じ詐欺は、はるか昔の生において、信じやすい鳥たちの一つの群れを、あやうく滅ぼしかけたことがあったのだ。

海の島の鳥王

そのはるか昔、ブラフマダッタがベナレスを治めていた時代に、菩薩は、仏陀がそれ以前の生において、大洋の森の茂る島に住む海鳥の大きな群れの王として生まれた。嵐に吹き流されて遠い海上に出て、同じ島に打ち上げられた陸の烏は、周りを取り囲む大きな信頼しきった群れを一目見て、そこに共同体ではなく、機会を見てとった。

静止の上に築かれた仮装

烏は白い珊瑚の小さな丘に登り、片脚で身をこわばらせて立ち、くちばしを空へ向け、風のなかをまばたきもせずに見つめた。好奇心に駆られた海鳥たちが、なぜそのように奇妙な姿勢をとっているのかとたずねると、烏は重々しく聖なる声で、自分は聖なる苦行者であり、両足を大地につければ大地を乱してしまうほど厳しい誓いに縛られている、と告げた。自分は天の清らかな空気のみで生き、生き物を一つも害さないのだと言った。

彼を養った信頼

海鳥たちは、自分たちの手の届かぬ徳を生きた模範と見えるものに心を動かされ、彼を聖者として敬うようになった。親鳥たちが毎日魚をとりに飛び立つとき、彼らは雛を彼の世話に任せるようになり、尊き者に、無力な子らを見守ってくれるよう頼んだ。最後の成鳥が水平線の向こうへ消えた瞬間、烏は姿勢を崩し、巣の窪みからもっとも肥えた雛を奪った。彼はそれを茨の茂みの陰で喰らい、親鳥が帰る頃には、また動かぬ見張りの姿勢に戻っていた。

菩薩が気づいた一つの型

数週間が過ぎるにつれ、菩薩は、群れの漁獲は変わらず安定しているのに、雛はしだいに減っていくことに気づいた。その疑いは、けっして食べも飲みもせず、何一つ必要としないように見える、動かぬ聖者に向けられた。ある日、菩薩は漁をする群れを抜け出し、ひとり島へ引き返して、濃い椰子の葉陰から見張った。

仮面がはがれる

菩薩が目にしたものは、すべての疑いを終わらせた。成鳥がいなくなった島で、苦行者は姿勢を崩して雛を一羽つかみ、丸ごと喰らった。そして何事もなかったかのように、敬虔な静止へと戻った。菩薩は止まり木の近くの地面を探し、乾いた海藻の下に、散らばった多数の雛の亡骸を見つけた。群れがこの者を信頼してきた期間と同じだけ続いていた殺戮の証拠であった。

群れの前での暴露

夕暮れ、群れの全員が砂浜に集まったとき、菩薩は前に進み出て、皆の前でその烏の名を挙げた。この偽りの聖者は、聖なる外見を、守護者を装いながら雛を殺すためだけに用いたのだ、と宣言した。群れは、奪われたものの大きさに見合った怒りで一斉に結束し、烏が逃げる前に、くちばしと爪と翼で彼を押し包んだ。烏はたちまち群れから追い払われた。

仏陀による生まれの同定

仏陀は、目の前にいる欺瞞的な比丘こそ、まさにその烏であると名指し、自らはそれを徳の証しとして受け入れることを拒んだ鳥王であったと明かして、教えを締めくくられた。パーリ仏典はこの物語を、ジャータカ第384番として、この語りのもとに伝えている。それは、もっとも静かで、もっとも説得力のある聖なる外見でさえ、まさに捨てたと主張している欲望そのものを覆い隠しうるという警告として差し出されているのである。

静止がなぜ完璧な仮装であったのか

烏は、へつらいや説得によって群れの信頼を得ようとすることもできたはずである。しかし彼は代わりに静止を選んだ。その選択は、まさに静止が聴衆に信仰以外の何一つ求めないがゆえに、巧妙であった。動く生き物は、一瞬ごとに観察され、問われ、その主張と照らし合わせて試されうる。しかし、一つの変わらぬ姿勢を保つ生き物は、疑うべき新たなものを何も差し出さない。鳥たちは目に見える行いの欠如を、徳の存在と取り違え、誰も見ていないときに烏が実際に何をしていたのかを、一度も問い返さなかった。それこそが、彼の仮装全体が、誰にも問われないことを頼りにしていた唯一の問いであった。

犯罪を可能にした信頼

烏の欺瞞は、自分の雛を自ら見守ることを主張する鳥たちに対しては、何一つ成功しなかっただろう。彼に、まさに計画が必要とした監視のない機会を与えたのは、群れが聖なるものに見えるものに対して抱いた、理にかなった、ごくありふれた信頼であった。この物語は、真の苦行者を信頼するという徳を、鳥たちの責めとはしていない。むしろ、その同じ徳が、真の苦行者の外見を真似ただけの者へと、検証もされずに差し伸べられたとき、どれほど正確に、本当の害悪が共同体へ入り込む入口となったのかを示している。その共同体は、示されたものを信じたこと以外に、何の過ちも犯してはいなかったのである。

ご存知でしたか?

ジャータカ第六集(チャッカニパータ、アヴァーリヤヴァッガ)所収の正典ジャータカ第384番。

チャッカニパータ(六偈集)のアヴァーリヤヴァッガ中、九番目の物語である。

信仰心を装って捕食する、羊の皮を被った狼と宗教的偽善に対する辛辣な経典寓話である。

菩薩は油断のない海鳥の王として、探偵のような追及によって聖なる偽善者の正体を暴く。

敬虔な見せかけを表面だけで信じることを拒み、批判的な観察を通して智慧波羅蜜を体現している。

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